2009年02月06日

高学歴ほど進路変更はゆっくり大きく

特に大学院などに行き、高学歴になってから何らかの挫折をして、ドロップアウトなどすると、普通の人の挫折よりもショックが大きかったりする。
そういう人が、どうやって立ち直って行くべきか。
それには人より時間を必要とするという事をまず覚悟しなければならないと思う。

自分自身がそれまで高学歴になり、専門性を高めてきたのは、そこで大きな、長い期間の努力があったからに他ならない。
そこから、自分のやってきた専門から離れて、新たな道を探そうとするのであれば、自分が今までやってきた努力や時間と同等のモノが必要とされる事を覚悟しなくてはならないと思う。

例えば、何らかの学部を出て、院まで行き、その後挫折したというような人は、人生において方向展開をはかるなら、もう一度他の学部に編入するところから始めるくらいの、大きなより道をして進路を変更した方がいい結果が生まれると思う。

これは自分がある専門性の上に立っているという事は、その下にさらに大きな基礎があるという事で、挫折した後、焦って中途半端な道を選んで進むよりは、ちゃんと基礎からやり直した方が、将来的には大きな結果が望めると、俺は思うからだ。

例えば理学部を出たけど、本当は工学系に進みたかった、とかあるいはその逆のパターンであっても本人がそう思っている場合は、得てして後悔というのは後を引くものなので、中途半端に元の分野で就職するよりもアッサリと他の学部に編入でも何でもして、入ってしまった方が良いように思う。

また、働く前に学校という場所でしっかり進路変更をして、基礎からきっちりと作り直して行くという事も大事だと思う。

なぜならいきなり自分の元の専門分野以外の会社に勤める事は基本的に就職の条件をかなり落とすし、またそこで基礎がないまま就業を続けるというのも、かなり苦しい作業になり、先が見えるかどうかわからないからだ。

そうなってしまうよりは、新たな学部から初めてみたり、何か専門学校から始めてみたりする方が結局よい結果を生み出すように思う。

俺の周りでも大学院でのドロップアウト組、というのは何人かいたが、大体がドロップアウトした事で自信をなくし、派遣会社で勤めたり、アルバイトをして生計を立てたりしていた。
それではもったいない!と思う。

中途半端に変な方向に流れて行くよりは、潔く分野を変えて学校からやり直す。
これは一つのいい方法だと思う。





     




     
posted by 原始人 at 07:31| Comment(52) | 大学院でのドロップアウト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月04日

学歴の馬鹿馬鹿しさ

学歴というのは、あってそれが報われるというのは人生のうち、かなり短い時間のようにも思える。
その時間というのは、新卒、第二新卒あたりで、企業が積極的に採用しようという、人生の中の非常に短い時期である。大体30歳過ぎくらいまでかもしれない。


自分自身も学歴ってなんだろう?と思ってしまった人に出会った事がある。

以前にいた会社で、大学院まで哲学を学んでいた人にあった事がある。
その人は、英語、ドイツ語、フランス語が読めて、しかも古代ギリシャ語まで読めるという人だった。
だが、実際にその人が30代後半でやっている仕事というのは、外資系有名PCメーカーの、お客さんからの、ハード、ソフト関連のサポートセンター受付業務だった。雇用形態は派遣契約社員である。
その仕事をする前も哲学や語学は全く関係のないマスコミ関係のアルバイトをしていたとその人は言っていた。

最初にその人に会った時に、古代ギリシャ語が読めてなぜこんな所で働いているのだろうと俺は思った記憶がある。
実際にその人に、ドイツ語やフランス語で、翻訳などの仕事は出来ないものなのか、と訊ねてみると、競争率が高くて、なかなか仕事が廻ってくる状況ではない、という答えが返ってきた。

学歴ってなんだろう、とつくづく思ったし、今でもそう思う。

しかし、その人と話していて感じたのは、この人は過去の学歴にも、専門分野にも全くしばられていないな、という事だった。
今のPC関係の仕事を割りに楽しんでやっているように見え、「この先派遣のままでどうするんですか。」と俺が尋ねると、「仕事がなくなったら、警備員やってでも食べていくつもりですよ。」と笑って話してくれた。

そういう風に割りきって生きているのは立派だなあと今、考えると思ってしまう。哲学というわりに特殊な学問がその人をそうさせたのかもしれない。



高学歴、と考えるとエリートコースを歩まないと、とか、キャリアをこう積んでとか、すぐに考えがちなのではないかと思うが、学歴=人生ではもちろんないし、学歴=好きな事でもない。

その出会った派遣社員の人にも、他にも進みたい道や、進んだ方が良かった道があったのかもしれないが、学歴というものに、しばられず、自分の生き方を飄々と決めていく、というのも一つの選択であると思う。
また自分の好きと思える事を、その時にやっていれば、自分という人間の道をちゃんと歩いているのではないか、とも思ったりする。






    
ラベル:学歴 大学院
posted by 原始人 at 04:32| Comment(4) | 就職活動、転職 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月20日

新卒採用というバカバカしいもの

昨今、就職内定をしていた学生の内定を企業側がこの不況により、取り消したということが、大きくニュースとして取り上げられているが、この新卒の採用というものほどバカバカしいものはないと思う。
何がバカバカしいかというと、新卒の学生を一括して採用し、それから何年か遅れただけの中途の人間を全く採用しようとしない日本の企業がである。
新卒と、大学を出て、3、4年しか経っていない既卒の人間とどれだけの違いがあるというのであろう?

もう、10年以上前から、企業に成果主義が導入されて、労働市場が流動化することが期待されていたわけだが、結局のところ、日本の企業文化というか採用文化?のようなものは変わらなかったと、この新卒採用取り消しのニュースを見ていればわかる。新卒の学生以外の中途採用がもっと活発に行われている状態であれば、このような事はショッキングなニュースとなり得ないからだ。

企業が、もっと海外を何年か放浪していた若者や、会社で社員として働くというスタンスをとらずに違うスタンスで自分を磨き上げるような生き方をしてきた人間を積極的に採用するようになれば、この日本も大きく変わっていくのになあと心から思う。この点に関しては企業の採用担当の人間がもっと変わっていかなくてはならないと思うが、この日本の現状はやはりなかなか変わらない。

こんな新卒採用にこだわるような会社に下手に入るよりは、自分が何かこれだ!と思えるものを少しずつでもつないでいって会社人間とならずに立派な自分人間となれるように生きるべきだとも思う。細く長く自分の好きな事を!というスタンスは重要である。

学校を出た後、フリーとして生きていくには色々な障害があるが、その一つとして、周りの社会一般と自分を比べて、大学を出た後の就職活動に思いを残すことだと思う。
多くの日本にある大企業でも未だに新卒だけを採用している。そこで自分が人より遅れて就職活動するというのも色々な思いがあることだろうなと思う。

しかし、新卒採用しかしていないような会社など、もう忘れてしまえばいいのだと思う。過去を置いていっても、自分の今ある能力は残るし、何より自分の好きな分野や、やってみたい仕事は残る。







     
ラベル:新卒 就職
posted by 原始人 at 18:59| Comment(0) | 就職活動、転職 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月12日

卒業してから大学院の教授に言われたこと

卒業してから大学院の教授に言われたこと

俺の大学院時代の教授は珍しく人間のできている人であった。大学時代を通して唯一尊敬のできるスケールの大きな人であったとも思う。

卒業後しばらくから、その教授に再会した時に言われたことがある。

「君は働いたらダメだよ。」

そう言われたのである。

今ならその意味が昔よりはっきりとわかる。

人間、働いてはいけない時期というのもあるのである。

自分の何らかの才能、好きな事を守るために働かないという重要なオプションをとらなければならない事もある。

働く事、特に自分が興味がなかったり、やる気をもてない仕事をする、ということは非常なストレスなのである。それは時として、自分が本来持っていた能力や興味を失わせ、自分自身を壊してしまうほどにストレスになりえる。

そういう状態になって働き続けても、多分、仕事は続かないし、下手をすれば体を壊してしまう。
また、自分が持っていた才能も失わせ、その能力を再び取り戻すには一定の時間を必要とする。

才能というのは、例えば芸術家の岡本太郎をガチガチに管理された印刷会社で、広告をデザインさせる仕事につかせようとしても決して発揮されないもの。それが才能なのである。
才能というのは非常に自由なものであり、とらえどころのない自由と一緒になって初めて発揮されるものなのである。

働かない事でその才能を守るというのは大切な事である。

特に、自分に向いていないと自分が直感的に感じる仕事や、強い人間関係のストレスを感じる仕事には自分を潰してしまうだけの力があると知るべきだと思う。





  




ラベル:転職 就職 大学院
posted by 原始人 at 19:01| Comment(0) | 就職活動、転職 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月09日

大学院で勝ち抜くタイプ

大学院で勝ち抜くタイプ

自分の経験の中では、大学院で余り苦労せずともそこそこ勝ち抜いていくタイプの人間というのがいたように思う。

それを以下にいくつか述べてみたい。



・実験そのものが好き、もしくは実験器材そのものを愛しているタイプ。

こういったタイプは強い。何か大きな研究を自分でやってやる、という気持ちよりも、とにかく実験まわりのことを、色々やったり、実験器材を触っていることそのものを好んでいるのだ。それゆえに研究室にいるストレスをあまり感じないのだろうと思う。見た目も中身もいわゆる研究者タイプの人が多いように思う。また、大きな研究をするぞ、という意欲よりも、実験器材そのものや、実験そのものが好きなだけなので、上の先生などと意見が衝突する可能性も少なく、普通にやっていれば普通にそこそこの地位まで出世するような気がする。大当たりはないにしても、無難にやっていける可能性が高いと思う。


・研究室にいるといったアカデミックな雰囲気が好きなタイプ。


こういうタイプも研究に向いていると思う。なぜなら、研究室にいるのが好きなので、研究のストレスが既に一つ減っているからである。また、アカデミックな雰囲気も好きなので、研究にある程度向いたタイプだと思われる。大学の研究室にはこういう人が多数いる。
しかし、こういう人の場合、アカデミックが好きなだけに、他の世間では通用しないような人が多いために、研究データを出すのがもし下手であれば、非常なストレスを抱え込むこともあるように思う。なぜなら、こういう人は世間で普通に働くということを恐れているからである。そのためデータが出ず、研究室で認められなければ、ウツ病など精神的に悩みこむ可能性もありえると思う。


・研究データを確実に出せるタイプ

こういうタイプは研究をやる上でやはり最強だと思う。研究データを出せるということは、やはり、研究の分野でやっていく上でどこの研究室に行っても重宝されるので、転職なども余裕で可能だと思う。
だが、一つ言えると思うことは、研究データが出せるからといって、研究室の独特の雰囲気が好きだとは限らないし、上の先生とうまくやっていけるかどうかはわからない。そこらへんの、主に性格上の問題は、いくら優秀であったとしても必ずしも研究室で生き残るのには直結していないような気がする。研究データを出せて、優秀であれば、上の先生にぶつかることも増えてくるような気がする。忘れてはならないのは、研究室では人柄が優れているということは必ずしも、生き残りやすいということにはならない、ということである。例えば、一般社会では、協調性があったり、人当たりが良いということは優秀な人ということで評価されるかもしれないが、研究室では、協調性や、人当たりが良かったり、ということは逆にデメリットであったりすることも往々にしてあると思う。


・見るからに研究者であり、対人能力を人生に必要なものと考えていないタイプ

このタイプも強いと思う。対人能力がないというのは、要は営業などの仕事には不向きということをここでは示している。こういう人は何が強いかというと性格的に強いのだ。黙々と研究をしたり、自分の心を表に現さずにするので、孤独で退屈な研究にも耐えられる。
また、対人能力を重要と思っていないということは、ようするに愛想が悪く付き合いにくいということなのだ。この底意地の悪さが色々なところでプラスに作用したりする。
研究室というのはそういう部分のある所なのだ。


・研究室の政治に敏感なタイプ

これは、ブログの以前の記事でも述べたが、研究者としては重要である。
特に上に述べた、様々なタイプに当てはまらない人は、政治を意識して研究生活を乗り切っていかなければならないのではないかと思う。






なんとか、自分のあらゆる能力を生かして研究生活を勝ち抜いていってもらいたいものである。

そして、自分の経験から考えると営業もできるタイプというのは、一般的に研究に余り向いていないのではないかと思う。






   














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2008年12月08日

大学院でドロップアウトしないために

大学院でドロップアウトしないために

大学院、それは研究の世界であると同時に、実は政治の世界である。
このことを考えると、ただ、研究センスや情熱があるというわけではなく、ある程度、世渡りの才能がどうしても必要となってくる。

まず、実験系より理論系の方が良いのではないか、と自分的には思ってしまう。
例えばコンピュータ系などであれば、教授などより、自分で勉強を重ねてきた、若い頭脳を持った学生の方が新しい知識にあふれているのは明らかである。先生などに負けていないと情報系の学生などが言っていたのを何度か聞いた気がする。まぎれもない事実であろう。

対して、実験系、これは不利になると思う。
なぜなら、実験機材がなければ研究などできないからだ。実験機材は高価なので研究室で買わなければならないので、必然的に学生は教授、准教授の奴隷となってしまう。

そんな実験系でどうやって勝ち抜いていくのか?
これはなかなかに難しいのだが、必要なのは、若くて院生やポスドクの間はホームランを狙おうなどと考えず、アベレージヒッターに徹することである。

自分の同期だった人間などを見ても、早く出世したのはほぼ例外なく、ヒットをたくさん狙っていくタイプである。
バイオ系の分野だったのだが、早く出世して登っていったのは、生理学の分野ではなく生化学の分野を選んだ連中である。
生化学の方が出世が早いのは、生理学よりは生化学の方が、すばやくデータが出やすく論文をたくさん書ける。ただそれだけである。
概して生理学で一発を狙っていた連中で、研究室、大学内の政治にうとい連中はほぼ玉砕しているような気がする。

大学院を勝ち抜くのは、やはり政治と要領だなと思う。

力のある教授や先生にひたすらついていく。これは昔からの大学院で生き残っていくための常套手段であり、現在でも必須の手段のように思える。

大学院を勝ち抜くのは、知識や知性ではなく、そういった知恵の部分のほうが大きかったりするというのが俺の意見である。




posted by 原始人 at 07:34| Comment(0) | 大学院 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月07日

大学院とはどういうところか

大学院とはどういうところか?

それはいうならば、教授を社長とした、中小企業の集まりのようなところである。
しかも学生にとっては奨学金がもらえなければ、給料のない中小企業の集まりと言っていいだろう。

実験系であるか、理論系であるかによってかなりの差が出るとは思うが、その研究室がアクティブで有名な研究室である程、一般的には帰る時間は遅くなり、土日も研究室に行って働くことが増える。そんな場合には、研究室は給料のでない、土日出勤、残業の多い中小企業であるという表現が一番、ぴったりとくると思う。

そう、まさに中小企業なのである。

教授はボス、社長にあたる。社長の仕事は主に研究費を国や省庁から取ってくることである。
その際の、研究室の評価というのは、その研究室から論文に出すことのできたデータの量と質できまる。

では大学院生は何にあたるか、と言えばこれは無給従業員にあたるわけだ。教授や准教授、助教が決めた研究方針にしたがって実験なら実験でデータを出し、それをできるなら論文にまとめ上げ、(書き方やチェックなどは給料をもらっている准教授、助教などが、教えてくれると思っていいと思う。)研究室全体としての研究成果に貢献するわけだ。

と、いうことで大学院では色々なことが起こる。

まず、それぞれの学生が大学院生になる場合に自分のやりたい分野にこだわりを持って入ることが多い。これは良いことで、もちろん情熱あってこそ素晴らしい研究が生まれるわけで正しい姿だ。

しかし、それを現状の日本の大学院がどれだけ受け入れて伸ばしてやれているかといえば、それにはかなりの疑問が残る。と、いうかむしろ学生を潰してしまっているんじゃあないかと思われる研究室など多々ある。

よく言われるように有名な研究室、これはまあ例外もあるのだが、有名である、ということはたくさん論文やデータを出しているということになる。
これがクセモノなのだ!

たくさんのデータが出ているということは、よく考えれば、無給従業員たる大学院生が、めちゃくちゃに働かされている。ということに当然なる。
この場合も大学院生が、自分が一介の無給労働者であり、無報酬中小企業の一員にすぎないということをわかっていて、研究がきついといってる間はまだいいかもしれない。

問題は学生が、自分のやりたい研究や研究方針、方法があって、それをやりたい、と言っているのに、教授はじめ先生側が反対して全くやらせてくれないというような場合に起こる。

大学院生が好きな研究を、自分オリジナルな研究をさせてもらえない。こんなことが当たり前とされていることは日本の大学の大きな問題で、そこで本当に頭脳が潰れていってしまうのだ。


もう一度書くが、大学院生は自分の好きなオリジナルな研究などさせてもらえない。なぜなら、研究室というものが中小企業で、そこのワンマン社長が教授であるからである。金をとってきているのが教授なのに、学生に好きな研究などさせてくれるはずがない。だいたいの研究室では教授の関心のあるテーマに沿った実験をやらされるハメになると思う。そう、そういうことになれば学生は、無給でしかも授業料というお金を払いながら、嫌いな研究をさせられる、ということになるのだ。

これで良いのだろうか?

まあ、若干の例外もあって、教授ができのいい人であった場合などには自分の好きな研究を早い段階からやらせてもらえることもある。
そういう研究室ではぜひ、残って自分を主張し、好きな研究を思い切りやることをオススメする。

しかし、それはやはりごく少数だと思う。(特に実験系では)

と、いうことでせっかく情熱を持ちしかも努力をして、大学院に入ったものの、うつ病になったり、途中で大学にこれなくなってしまったりする学生はかなり多い。


まあ、とりあえず、この記事はこんなところで・・。

また、そのうちに、そんな大学院をどうやって乗り越えていけばいいのか、書いていってみたいと思うj。






posted by 原始人 at 20:24| Comment(0) | 大学院 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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