2008年12月07日

大学院とはどういうところか

大学院とはどういうところか?

それはいうならば、教授を社長とした、中小企業の集まりのようなところである。
しかも学生にとっては奨学金がもらえなければ、給料のない中小企業の集まりと言っていいだろう。

実験系であるか、理論系であるかによってかなりの差が出るとは思うが、その研究室がアクティブで有名な研究室である程、一般的には帰る時間は遅くなり、土日も研究室に行って働くことが増える。そんな場合には、研究室は給料のでない、土日出勤、残業の多い中小企業であるという表現が一番、ぴったりとくると思う。

そう、まさに中小企業なのである。

教授はボス、社長にあたる。社長の仕事は主に研究費を国や省庁から取ってくることである。
その際の、研究室の評価というのは、その研究室から論文に出すことのできたデータの量と質できまる。

では大学院生は何にあたるか、と言えばこれは無給従業員にあたるわけだ。教授や准教授、助教が決めた研究方針にしたがって実験なら実験でデータを出し、それをできるなら論文にまとめ上げ、(書き方やチェックなどは給料をもらっている准教授、助教などが、教えてくれると思っていいと思う。)研究室全体としての研究成果に貢献するわけだ。

と、いうことで大学院では色々なことが起こる。

まず、それぞれの学生が大学院生になる場合に自分のやりたい分野にこだわりを持って入ることが多い。これは良いことで、もちろん情熱あってこそ素晴らしい研究が生まれるわけで正しい姿だ。

しかし、それを現状の日本の大学院がどれだけ受け入れて伸ばしてやれているかといえば、それにはかなりの疑問が残る。と、いうかむしろ学生を潰してしまっているんじゃあないかと思われる研究室など多々ある。

よく言われるように有名な研究室、これはまあ例外もあるのだが、有名である、ということはたくさん論文やデータを出しているということになる。
これがクセモノなのだ!

たくさんのデータが出ているということは、よく考えれば、無給従業員たる大学院生が、めちゃくちゃに働かされている。ということに当然なる。
この場合も大学院生が、自分が一介の無給労働者であり、無報酬中小企業の一員にすぎないということをわかっていて、研究がきついといってる間はまだいいかもしれない。

問題は学生が、自分のやりたい研究や研究方針、方法があって、それをやりたい、と言っているのに、教授はじめ先生側が反対して全くやらせてくれないというような場合に起こる。

大学院生が好きな研究を、自分オリジナルな研究をさせてもらえない。こんなことが当たり前とされていることは日本の大学の大きな問題で、そこで本当に頭脳が潰れていってしまうのだ。


もう一度書くが、大学院生は自分の好きなオリジナルな研究などさせてもらえない。なぜなら、研究室というものが中小企業で、そこのワンマン社長が教授であるからである。金をとってきているのが教授なのに、学生に好きな研究などさせてくれるはずがない。だいたいの研究室では教授の関心のあるテーマに沿った実験をやらされるハメになると思う。そう、そういうことになれば学生は、無給でしかも授業料というお金を払いながら、嫌いな研究をさせられる、ということになるのだ。

これで良いのだろうか?

まあ、若干の例外もあって、教授ができのいい人であった場合などには自分の好きな研究を早い段階からやらせてもらえることもある。
そういう研究室ではぜひ、残って自分を主張し、好きな研究を思い切りやることをオススメする。

しかし、それはやはりごく少数だと思う。(特に実験系では)

と、いうことでせっかく情熱を持ちしかも努力をして、大学院に入ったものの、うつ病になったり、途中で大学にこれなくなってしまったりする学生はかなり多い。


まあ、とりあえず、この記事はこんなところで・・。

また、そのうちに、そんな大学院をどうやって乗り越えていけばいいのか、書いていってみたいと思うj。






posted by 原始人 at 20:24| Comment(0) | 大学院 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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